山籠り竹川です。
今月はAIについて、
あれこれお届けしています。
AIと文章について、
最近ちょっと面白いことがあったので、
そのお話をしてみたいと思います。
というのも、
AIが全部書いているのに、
驚くほど本人らしい文章がある。
その一方で、
本人が一生懸命書いているのに、
なぜかAIが書いたような文章になってしまう。
こんな不思議なことがあるんですよね。
しかも、どちらも同じようなことを
伝えていたりする。
ところが、読む側に伝わってくるものが、
まるで違うんです。
これは何なんだろうなあと。
そんなことを最近、
あれこれ考えていました。
●AIが書いたなんて、まったく気づかなかった
先日、昔から知っている方のブログを
久しぶりに覗いてみたんです。
すると、いつの間にか記事が
ものすごく増えている。
しかも、読んでみると、
これがまた面白い。
昔からその人独特の文章のリズムや勢い、
ちょっとした言葉の節のようなものが
あったんですが、
それが見事によみがえっている。
いや、よみがえったというより、
以前にも増して突き抜けているような
感じさえしました。
いやあ、すごいなあ。
しばらく見ないうちに、また一段と化けたなあ。
そんなふうに思っていたんです。
ところが、驚いたことに、
その文章はAIが書いていたんですね。
しかも、私も使っているChatGPTです。
これにはびっくりしました。
だって、私が普段ChatGPTとやり取りしていても、
あの人のような文章は出てこないんです。
当然といえば当然なんですが。
同じAIなのに、使う人によって、
ここまで違うものになるのかと。
それで、どうやっているのか気になって、
ブログをさらに読んでみたんです。
すると、その方はAIとのやり取りまで、
かなり赤裸々に公開していました。
最初からAIが見事な文章を
書いてくれたわけではありません。
最初は、どこにでもありそうな
当たり障りのない文章が出てくる。
そこで、
いや、そこは違う。
自分ならこう言う。
この表現では自分の言いたいことが伝わらない。
そんなやり取りを何度も何度も
繰り返している。
さらに、自分にしかない体験や、
失敗したこと、悔しかったこと、
思いがけずうまくいったことなども、
AIにどんどん伝えているんですね。
そして実際に記事を公開しながら、
また対話を重ねていく。
そんなことを繰り返しているうちに、
AIが書いているにもかかわらず、
どんどん本人の味が濃くなっていった。
私には、そんなふうに見えました。
なんだか、文章が発酵していくような感じです。
もちろん、AIの性能が
上がっていることもあるのでしょう。
しかし、それだけでは説明できないものを
感じたんですね。
何より面白かったのは、
AIがその人の代わりになったというより、
その人自身が以前にも増して
文章の中に現れていたことでした。
これからさらにどんなふうに化けていくのか。
ちょっと楽しみになっています。
●自分で書いているのに、自分がいない?
ところが、反対のこともあるんです。
これはAIを使っている、
使っていないに関係なく、
以前から感じていたことなんですが。
普段お話ししていると、
ものすごく面白い人がいます。
ちょっとした雑談の中でも、
その人ならではの感性があったり、
独特の言葉遣いがあったり。
ときには、思わず笑ってしまうようなことを
言ったりする。
ところが、その人が書いた文章を読むと、
なぜかその人の姿が見えてこない。
あれ?
いつものあなたは、どこへ行っちゃったの?
そんな感じなんですね。
本人に聞いてみると、こんなことを言ったりします。
「こんなことを書いていいのかなと
思ってしまって」
「ちょっと言い過ぎかなと思って、
表現を変えたんです」
「あまり自分を出しすぎるのも
どうかと思って」
なるほどなあと。
もちろん、誰かに読んでもらう文章ですから、
相手への配慮は大切です。
何でも思ったままに
書けばいいというものでもありません。
それでも、あれこれ考えているうちに、
もともとその人の中にあった面白さまで、
いつの間にか消えてしまうことがあるんですね。
そんなとき、私はちょっともったいないなと
思ってしまうんです。
その人には、その人にしかないものがあるのに。
それで、AIに相談してみるのも
面白いんじゃないですか、
なんてお話をすることもあります。
自分の思っていることをそのまま伝えて、
別の表現を考えてもらう。
こんな言い方もあるんだ。
でも、これはちょっと自分らしくないな。
そんなふうにやり取りするだけでも、
表現の幅は広がっていきますから。
ところが、
「AIに書いてもらうと、
自分らしくなくなってしまうので」
なんて返ってくることもあるんですね。
もちろん、その気持ちもわかります。
ただ、私からすると、今の文章にも
普段のあなたらしさがあまり出ていないように
感じるんですよね。
それなら、AIを使うか使わないかよりも、
まずは自分の中にあるものを、
もう少し外に出してみてもいいんじゃないかなあと。
そんなことを思うんです。
●同じ「好きなことをやりましょう」なのに
これは未来型でも、ずっと大切にしてきたことなんですが。
例えば、
「好きなことをやりましょう」
という言葉があります。
ごく普通の言葉ですよね。
今では、あちらこちらで見かけます。
AIにお願いしても、それらしい文章を
いくらでも書いてくれるでしょう。
好きなことを大切にしましょう。
自分らしく生きましょう。
一歩踏み出してみましょう。
どれも間違ってはいませんし
それなりに整った、読みやすい文章にもなると思います。
ただ、読んでも何も残らないことがあるんです。
一方で、同じように「好きなことをやりましょう」と
伝えているのに、
なぜか胸の奥まで響いてくる文章もあります。
言っていることは、ほとんど同じなんですよ。
それなのに、片方は読み終わった瞬間に
消えてしまう。
もう片方は、読み終わってからも、
何かが残っている。
ときには、その言葉が何年も
心の中に残っていたりする。
この違いは何なんでしょうね。
私は、そこに至るまでの、
その人自身の体験や念いが
関係しているような気がするんです。
好きなことをやってみた。
でも、全然うまくいかなかった。
周りから笑われた。
自分でも、こんなことをやって
何になるんだろうと思った。
それでも、どうしても気になってしまう。
やめようと思っても、なぜかまた戻ってきてしまう。
そんなことを繰り返しているうちに、
思いがけない人と出会ったり、
今まで見えなかったものが見えてきたりする。
そういう体験をしてきた人が、
「好きなことをやってみたら
いいんじゃないですか」
と語る。
すると、同じ言葉なのに、
どこか響きが違ってくるんですよね。
もちろん、苦労した人の言葉だけが
本物だという話ではありません。
ただ、その人自身が
本当に感じてきたことなのか。
誰かから借りてきた言葉を、
そのまま口にしているだけなのか。
その違いが、文章のどこかに現れることは
あるように思います。
もっとも、本人は本気で思っているのに、
うまく言葉にできないことだってあります。
だからこそ、そこにAIが入ってくる面白さも
あるんじゃないでしょうか。
●道具にも魂が宿るという感覚
日本には昔から、道具にも魂が宿るという
感覚があります。
縄文土器にしても、
長い年月をかけて鍛えられた刀にしても、
あるいは職人が使い込んできた道具にしても。
単なる便利な物として眺めているだけでは、
なかなかわからないものがあります。
使い手の癖や工夫、
試行錯誤の積み重ねが、
そこに現れてくる。
同じ道具を使っていても、
誰が使うかによって、
まるで違うものが生まれてくる。
私はAIにも、どこか似たところが
あるような気がしています。
もちろん、AIそのものに
魂が宿っているという話ではありません。
ただ、AIを単なる便利な道具として、
何かを手っ取り早く作ってもらうためだけに使うのか。
それとも、自分の中にあるものを持ち寄りながら、
何度も対話していくのか。
そこには、ずいぶん違いがあるように思うんです。
私自身、ChatGPTと一年ほどやり取りを続けています。
こうしてメルマガを書くときにも、
いろいろ相談しています。
ただ、いまだに、
いやあ、そこはちょっと違うんですよね。
その言い方は、私ならしないなあ。
なんてことが、しょっちゅうあります。
逆に、自分では思いつかなかった言葉を
提案されて、
おお、そういう捉え方もあるのか。
と驚くこともあります。
そうやってやり取りしているうちに、
自分が本当は何を伝えたかったのか、
あらためて気づくこともあるんですね。
文章を書いてもらっているつもりが、
いつの間にか自分自身の奥を覗いている。
これは、なかなか面白い体験です。
●まだ、うまく言葉にならないもの
もし、文章を書くときに、
こんなことを書いてもいいのかな。
自分の考えなんて、
誰かに伝えるほどのものではないんじゃないかな。
そんなふうに思うことがあったら。
いきなり立派な文章を
書こうとしなくてもいいと思うんです。
まずは、自分の中にあるものを、
そのまま言葉にしてみる。
うまくまとまらなくてもいい。
途中で話が脱線してもいい。
自分でも何を言いたいのか
わからなくなることだってあるでしょう。
それでも、話しているうちに、
ああ、私、本当はこれが悔しかったんだ。
そうか、私はこういうことが嬉しかったんだ。
なんて、思いがけないものが
顔を出してくることがあります。
そのとき、AIが相談相手になってくれることもあるでしょう。
もちろん、人と話すことで
見えてくるものもあるでしょうし、
一人でノートに書いているうちに
気づくこともあると思います。
大切なのは、最初からうまく整えることではなく、
自分の中にあるものを、
あまり早く引っ込めて
しまわないことなのかもしれません。
人に見せるための文章になると、
どうしても身構えてしまうことが
ありますからね。
でも、身構える前のあなたの言葉にこそ、
誰かの心に染み込んでいくものが
隠れているかもしれないんです。
そして面白いことに、そうした言葉は、
必ずしも上手な文章とは限らないんですよね。
不器用だったり、
ちょっと変わった言い回しだったり。
それでも、なぜか忘れられない。
私自身、そんな文章に何度も出会ってきました。
●AIが書いたのか、人間が書いたのか。
これからますます、その境目は
わかりにくくなっていくのでしょう。
でも、私が読みたいのは、
AIが書いたかどうかを
見分けられる文章ではありません。
そこに、その人がいると
感じられる文章です。
そして、自分でもまだ知らなかった自分が、
ふっと顔を出してくるような文章です。
AIと付き合うことで、そんな言葉が生まれてくるなら、
これはなかなか愉快な時代になったものだと思います。
もちろん、私もまだまだ試行錯誤の途中です。
これからAIとの対話を重ねる中で、
私自身の文章がどんなふうに変わっていくのか。
それもまた、楽しみの一つになっています。
皆さんも、もし何か伝えてみたいことがあったら、
まずはうまく書こうとする前に、
自分の奥で何が動いているのか、
ちょっと耳を澄ませてみてはいかがでしょうか。
そこから、思いがけない言葉が
生まれてくるかもしれませんから。
山籠り竹川
未来型という、少しへんてこりんな凸凹の学び場
▼「未来型 夢の降るみち」▼
https://bunsyoudeikiru.net/yumenofurumiti/

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